完全に一本道なノベルゲーがあったとして、それはゲームなのか?
で、昨日のについてちょっと発展させて考えてみた。
完全に一本道なノベルゲーがあったとして、それはゲームなのか?
仮にシューティングゲームで、自機が敵や弾に当たってもやられない、無敵状態のシューティングがあるとしよう。
これには「途中でゲームオーバーになる」という展開が無く、例え操作しなくてもクリアとなるわけで、「ゲームになっていない」状態なのだが、これをもし、無敵状態だということを知らない人にやらせた場合、その人がシューティングをやったことがある人なら、普通に無敵でないシューティングと同じように敵や弾を避けてゲームとして遊ぶだろう。
実際に敵や弾に当たって、無敵だと気づくまで、無敵でないゲームと全く同じように遊ぶことが出来る。
それと同じように、実は展開が1種類しかないノベルゲーでも、要所要所に適当に3択、4択の選択肢を出せば、プレイヤーはゲームをやっている気分になる。プレイヤーは1回目のプレイでは展開が1種類しかないということに気づけないのだから、自分の選択が展開や勝敗(ゴールへ辿り着けるか否か)に影響を及ぼすと思い込んでプレイすることになる。
hmm… 困った。
つまりこういうことか?
ゲームになっていないものでもそれをつかって、プレイヤーが勝手にルールや勝敗を決めて、ゲームとして遊ぶことができる。
ということは、「遊んだ人がゲームと思えばゲーム」という、一見おりこうさんな答えは成り立たない。もしそれが成り立てば、この世のもの全てを「ゲーム」と呼べてしまえる。
つまり「これはゲームだ」と言うには、ゲームとしての勝敗とそれに辿り着くためのルールが用意されていることが必要で、ゲームとしての良し悪しを決めるのは、そのルールの良し悪しだということか。
結局、勝敗を決めるルールこそがゲームの本質だということを再確認しただけに終わった気がするが、まぁ一本道のノベルゲーがゲームなのかどうかと言うことに対する答えは、
「再生ボタンを押してビデオを見てもゲームとは言わんだろ?それがFlashアニメーションでも電子ノベルでも同じことさ。」
ということか。
コメント
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結果が1つのパターンしか用意されてないゲームの場合、
それに気づくまでには最低2回はプレイしないと気づかない。
気づくまでは確かにゲームかもしれないね。
気づいてしまったら、ユーザーはゲームとは評しなくなるだろうけど。
>勝敗を決めるルールこそがゲームの本質
そうかもしれないけど・・・なんかひっかかるんだよねえ・・・。
なにをもって勝敗と見なすかはユーザーごとにまちまちだろうし、
そもそも勝敗とは無縁のゲーム性だって山ほどあるわけで。
そもそもゲーム性の本質ってなんだっけ・・・?
TxSEにいたときは自分なりに理解してたつもりだったけど、
最近はこの問いに対して明確な回答をする自信がない俺ガイル。
Comment by 多岐川ふなえもん — 2006年10月7日(土曜日) @ 00時27分08秒
ボタンを押すなどのPlayerの介入要素が無いものはゲームとは呼べないだろうね
たとえ結果的に道が一本でも途中に選択肢のようなものがあれば
ゲームとして認めることも出来ると そういうことなんでしょう
ゲーム性の本質って 定義は知らんけども結局はPlayerが
意思を介入させてそのリアクションを楽しむものなんじゃないのかな
その際楽しくないと クソゲー呼ばわりされるわけですが
Comment by Gush. — 2006年10月7日(土曜日) @ 02時02分45秒
ミステリ小説を作者と読者の知恵比べとしてゲームと称する向きもあるけど、そういうことじゃないよね。
「「美少女ゲーム」は〜」で東氏が挙げてたひぐらし〜はそういう意味でのゲームだと作者は言ってたと思うけど。
便宜的にゲームというジャンルで発表されているものが、構造的にゲームであるかどうかは別だと思う。
プレイヤの意思による働きかけで状況を改変し目標を達成する。
このくらいはやはり最低限必要な気が。
Comment by molito — 2006年10月7日(土曜日) @ 05時26分57秒
>ゲーム性と勝敗
まぁゲーム性とは違うけどそこに繋がるゲームの面白さってのについては
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http://ladios.true-gamers.net/modules/wordpress/index.php/archives/2006/01/18/252/
この辺で。
勝敗ってのは本文中にも書いてるけど、ゴールに辿り着けるかとか、目標を達成できるかというのを勝敗と言ってるんで。
>リアクション
でもまぁ、自キャラ動かしてるだけで楽しいって人が、自キャラ動かしてるだけでゲームかというとそうでは無いんだよなぁ。
>ミステリ小説
だからさ、そこで「犯人が○○と思う人は18ページへ」とか書くことによって、小説からゲームになったわけで。
大昔からあるアドベンチャーゲームも、謎解きの正解不正解をコンピュータに判定させて「ゲーム化」しようというところからスタートなわけでしょ。
そんなスタート地点に戻って開き直られても困るなw>ひぐらし
イマイチ納得のいかない例えシリーズ
「トランプでゲームは出来るけどトランプというもの自体がゲームというわけではない。」
というのも思いついた。
Comment by Ladios — 2006年10月8日(日曜日) @ 03時32分48秒
あー、念のため追加しとくと、ゲームじゃないからひぐらしが駄目とは言わんし、あんまりひぐらしがゲームだという主張も聞いたことがないんで、作者の人の発言も、あえてゲーム的な部分を挙げるとすれば、程度の発言なのだろうとは思ってる。
でも、次の展開を勝手に自分で予測して楽しむことをゲームというなら、本文に書いたように、この世の物全てをゲームと言えてしまうわけで、まぁそういうことです。
Comment by Ladios — 2006年10月8日(日曜日) @ 03時47分24秒
自キャラ動かす云々
なんだか都度違う条件で話されても
ムービーとゲームの垣根という所でのコメントなワケで
ぶつ切りムービーとボタン入力でタイムギャルなんかは出来てて
まぁ、あれもゲームかなと思うワケですが
アレをただ結末まで見てるだけだとゲームではなくなると
(ワッハッハッハッハ・・・)
自キャラを動かすだけでゲームか>
何を言いたいのかワカラン、自キャラがボタンに対応して動くだけのシステムで
それをゲームだと言い張る人がいるってこと?
たとえボタンを押すことで自キャラが画面上で変化したとしても自キャラが動いたことに対するリアクションが無いって事なら
やはりゲームではないんでしょうなと思います
リアクションがないって事は物理的な操作に対するものに限定しなくてもええんでないかい
行動には必ず理由があるワケで、その理由を作る状況がゲームなのかなと
Comment by Gush. — 2006年10月8日(日曜日) @ 20時59分57秒
>何を言いたいのかワカラン、自キャラがボタンに対応して動くだけのシステムで
>それをゲームだと言い張る人がいるってこと?
ソユコト。
Comment by Ladios — 2006年10月9日(月曜日) @ 03時16分03秒